第三章 血、炎、ときどき音楽

ヒップホップ・ジェネレーション 「スタイル」で世界を変えた若者たちの物語について書いてます。

サウス・ブロンクスでも最大のギャングのひとつであるGHETTO BROTHERSの頭目、Benjamin Melendezの話を軸にして、70年代前半のヒップホップ以前のサウス・ブロンクスのギャング勢力図がよく分かる章。地名とかギャングの名前がカタカナだらけだもんで、なかなか読みにくい章でもある。

GHETTO BROTHERSはプエルトリカンのギャングであり、なおかつファンクバンドでもあった。

"Ghetto Brothers Power"

これブーガルーじゃないの?ブーガルーっぽいけど。でも「ブーガルー」は彼らのお兄さん世代の60年代中頃に流行った音楽の名称。1964年にJerry MasucciがFaniaレーベルを作ってるから時代はまさにその辺りだわな。それ以前はワンダラー世代って言って、50年代末から60年代初頭にドゥワップ歌うのがかっこよかった世代だ。ブロードウェイでヒットするウエストサイド物語のモチーフはさらにもうすこし前のギャング。

ゲっトー・ブラザーズの面々は要するにイケメンで話も上手だったために、当時のマスコミにもちょいちょい登場して話題になり、サウス・ブロンクスという土地とそこにいるギャングに対するロマンチックなイメージが作られた。Benjamin Melendezは何をした人かというと、1971年の末に、ブロンクス中のギャングを巻き込む血みどろの戦争になりかけたところを、話し合いで和平をもたらそうとした。のちに『80 Blocks from tiffany's』というドキュメンタリー映画にもなった。ただこの映画、1979年のものらしいから、抗争時を振返って語ってる連中は結構ギャングって言うには年齢いってる。しかしねえ…それにしても…こういうの動画見れちゃうってインターネットすごすぎ。

"80 Blocks from tiffany's"

ブロンクス区(148.7km²)の面積は東京に喩えると、

江戸川区(49.86km²)+葛飾区(34.84km²)+墨田区(13.75km²)+足立区(53.20km²)=151.65km²

ということになる。結構でかい。この時代のギャングの名前で検索すると「Bronxのギャングについて語ろう」的なフォーラムが出てくる。2chアウトロー版のノリや、「おめえどこ中だよ!戦争か!」っていう東京ダイナマイトの小ネタと重なって見えてくる。

当時のさまざまなギャングは、Bronx Riverを境にして、大まかに人種で分けられたようだ。東側がアフリカ系、西側がプエルトリコ系のギャングであった。東側にはBlack Spadesという大きなギャングがあって、これは後にAfrica Bambaataaが仕切ることになる。西側のプエルトリコ系はメレンデスのゲットーブラザーズの他、いろんなギャングが派生した。そういや黒人とプエルトリカンのギャングって、よく橋で遭遇するシーンが多かったような。

諸説あるだろうけど、著者ジェフ・チェンは、1968年にギャングが発生したんだという。ローズ党やブラック・パンサーのような公民権運動の団体は街の若者を戦闘員に取り込んでたっつー話もそれまであったんだが、結局急進的な政治団体についていけたのは大学出たりした比較的インテリの連中だけで、そんなのは一部だったんですよ、といってる。ゲットーにはもっと落ちこぼれた連中がいたわけだよと。そんで自己防衛のためにギャングが出来たっつー話。

1968年から1972年の5年間でギャングは消滅したって書かれてるんだが、翌年の1973年には、彼らのお兄さん世代が作った音楽「ブーガルー」から派生したファニアオールスターズが。ヤンキースタジアムでライブやるんだよなあ。公民権運動やブラックパワーの流れとともに、プエルトリカンが獲得した民族的アイデンティティがついに花開いたのがこの時!…なーんていままで自分流に解釈してたんだけど、ちょっと複雑な気持ちになった。実際に表舞台で成功してる方はいつだってビジネスとべったりで、ストリートの落ちこぼれどもは相変わらずだったんだよな、というのが切ない。

以下次章。

第四章 名を成した男