Sam Phillipsとメンフィス

サム・フィリップス、1923年生まれ。プレスリーを「発見」したことで有名なプロデューサー。1950年代のロックンロールの出現の時期に重大な役割を演じ、「ロックンロールの父」なんて呼ばれ方もする。もともと、1940年代にアラバマ州マスルショールズのラジオ局でDJをやってた。あのマスルショールズ、とはいっても、サザン・ソウルや、さらに後のオールマン兄弟が出て来るのは60年代の話。でもこんなところで繋がるんだからビビるわー。

1950年、齢27歳にして、テネシー州メンフィスに「Memphis Recording Service」と「Sun Records」を開業する。このスタジオに、プレスリー以前に、ずばり19歳のIke Turnerが登場するというわけだ。アイクはJackie Brenston and his Delta Catsの「Rocket 88」でギターを弾いてる。まあサムにしてみたら、ギターを弾けるクソガキみたいな感じだっただろう。後にコカインブリブリのDV野郎になるなんて予見できるわけないですね。まあとにかく1950年から1954年までは、がっつりとR&Bやブルースの超有名人、例えばRufus ThomasやBobby Blue Blandが「サムんところ」で録音し、それはたいそうな賑わいじゃった。要するに、もうこの時点で白も黒も関係ねーじゃんな、というメンフィス(マスルショールズもそうだったらしいが)の音楽人気質が現れているということ。ちなみにこの時(1950年)のダグ・サームは9歳。ドリー・ファンク・ジュニアも9歳。

さて、この手の歴史では、やっぱりエポックであるのはエルヴィス・プレスリーの登場なんですが、なんつーのか歴史上地理上必然であるとしか思えない。エルヴィスじゃなかったら誰か別の白人がやってたはずだし。エルヴィスが「That's All Right (Mama)」を、B面にはビル・モンローのカバー「Blue Moon of Kentucky」を吹き込んだのが1954年。まあ売れたっつーわけですよね。それでもサムんところは1955年半ばには経営的に傾き、同年の11月には泣く泣くプレスリーの契約をRCA Recordsに売った。なんだろなあ、中小企業の悲哀を感じますね。今でもインディーズのレーベルで超売れると、プレスする資金が追いつかなくて破産するって話は聞くが、この時から変わってないのかもしれん。RCAと言えば泣く子も踊るナッシュヴィルの中心レーベル。以前書いたJack Clementも1957年にRCAに移動しているから、この頃時代はナッシュヴィルになりつつあった…と書けば歴史読み物としては適当にオチが付くんだろうが、ちょうどこの1957年にはメンフィスでStax Recordsの前身が設立されるんだわなあ。なにかこの辺の事情から、その後のナッシュヴィルが白人ミュージシャンの町となり、ナッシュヴィル・サウンドを創り上げ、その後カントリー市場が白人オンリーになっていく過程の原因が感じられるんだが…。

いろいろとサムの功績とセンスその他もろもろについては称賛することができると思うが、そういうのは割愛して、そんでその後の彼はどうなったかというのは書かせてもらう。エルヴィスを売った金でサムは、全国的なモーテル・チェーン店のHoliday Innに投資した。それからレーベルもやり始めたが成功せず、結局1960年代に、Sun RecordsをShelby Singletonに売っぱらった。なんかどうでもいい話だが、このShelby Singletonにしてみたら、初期のロックンロールやロカビリーの版権を手に入れたわけだからとてつもなくオイシい話だったろう。

そうだ、サム・フィリップスは2003年6月30日にメンフィスの病院でお亡くなりになりました。合掌。