第八章 爆発寸前のズールーたち

ヒップホップ・ジェネレーション 「スタイル」で世界を変えた若者たちの物語について書いてます。

超ごぶさたですが続き書いてみます。

この章は1980年ジャストの話ですな。この当時、Hip Hopってどうなのよ、っていう話です。ダウンタウンでのHip Hopの捉えられ方がよりはっきりと先鋭化してきた時期でもある。ヘンリー・シャルファントやマーサ・クーパーのようなHip Hop大好き芸術家が、アートとしてHip Hopを紹介して個展を開いたりした。同じ時代に花開いていたイーストヴィレッジのパンクアートや、キース・ヘリングやバスキア、全部一緒くたになって注目された。グラフィティは確実にアートシーンの中枢へ入り込んだ。

このアートという部分で見たら人種間の断絶というのはもはやないようにも見て取れた。んだけど、ところがそうでもなかったという話として、81年にNYに来たClashのライブの話が上げられている。The Clashは80年初頭に『Magnificent Seven』というラップの曲を出して、これがNYの黒人ラジオ局でも評判となっていた。

Magnificent Sevenはジョー・ストラマーがいち早くHip Hopを取り入れて作った曲であるわけで、ヒットに気を良くしたThe ClashはNYでのライブのフロントアクトにGrandmaster Flash & The Furious Fiveを起用する。これが凶と出た。少なくとも1981年当時の、アートにかぶれてもない、下流の白人パンクスどもは、黒人音楽のヒップホップと同調するなんざまっぴらごめんでしたっていう切実な人種間対立が表に出たという話である。

こんなのはこの本では序の口でずな。まだまだひどい人種間対立の話がいっぱい出て来て胸焼けしそうになる。

さて、ヘンリー・シャルファントやマーサ・クーパーといったアーティストは、文化人類学者みたいに黒人の地域文化を変容させることに自己矛盾を感じながらも、いわゆるフォークアートとしてのHip Hopには敬意を表しつつそれを守って行こうという立場であった。その一方で、Hip Hopを食い物にしたろか、という立場であったマルコム・マクラーレンがこの本でも笑い者にされている。『Duck Rock』というアルバムがいかに恥ずかしい作品であったか、ということが、そこまで言うかっていうくらい書かれているけれど、まあ仕方ないわな。こちらのサイトでも書かれてますけど、「当時の軽くC調な何でもあり感」というのはよく出ていると思う。

要するにさ、アート界の側の捉え方の大半って、マルコム・マクラーレンのそれと一緒なんだよな。人種差別的というか人種搾取的というかね。意識的じゃなくて無意識のね。そこがこええんだよねって感じで次章へ。

第九章 一九八二年