ダグ・サームを追う#2

ダグ・サームを追う#1 - 音楽・脳・アメリカの続き。

ダグ・サームのアイドルはFreddy Fenderであったという記述もライナーノーツにあるんだが、ダグ・サームの4歳年上のフレディが「Wasted Days and Wasted Nights」でヒットしたのが1959年で21歳。この若いときの4歳くらいの差って相当なものなんでしょう。中学生が大学生に憧れるみたいな。

で、ダグ・サームがまだ10代のガキであった1950年代、Excello、Atlantic、Specialtyなどの黒人音楽のレーベルを聞いていたという話の続き。これはまったく同じ時期、アメリカのみならずロンドンやその他の都市で、同じように熱中していた若者がたくさんいたという話はロックの歴史でしつこいくらいに振り返っている。だからここでも同じように振り返ってもしょーもないんだが、まあ気の済むようにやらせてくれってわけです。


まずはT-Bone Walker。1910年テキサス州リンデン生まれ。子供の頃に伝説のブラインド・レモンと会っている。1942年にCapitol Recordsで「Mean Old World」を録音したのが一応初めてという説で、「Call It Stormy Monday (But Tuesday Is Just As Bad)」を録音したのは1947年。この時すでに37歳でしたか。この後Imperial Recordsで1950年から1954年まで録音し、さらにその後の1960年までのセッションが、「T-Bone Blues」としてAtlantic Recordsからリリースされている。

Howlin' Wolfは1910年ミシシッピ州生まれ。マディ・ウォーターズと並ぶChessレーベルの看板アーティスト。1930年代は百姓、それから第二次大戦で従軍し、1948年にJunior Parkerらと共にバンドを組んで、すぐにローカルスターになる。1951年にはSam Phillipsのオーディションを受けたりして、Chess Recordsで最初のレコーディングをした。Modern RecordsではIke Turnerのサイドを務めたりもしつつ、ヒット曲「How Many More Years」で成功する。1953年にはシカゴに移住。この時すでに43歳という計算ですなあ。コレ以降はこってりとシカゴブルースの金看板として暮らすことになる。

ちなみに1910年生まれは明治43年生まれということになる。すごいねホントに。「ハウリン・ウルフは明治の男」というわけだ。

"Lonesome Sundown"、本名Cornelious Greenは 1928年の12月12日生まれ。まったく予備知識なく検索したhttp://bluesdays.exblog.jp/140567のサイトを見た。1953年、25歳の時にテキサスのポートアーサーに移住して、「キング・オブ・ザディコ」Clifton Chenierのバックバンドに入ってたらしい。1956年からソロ活動を始め、Excelloレーベルにちょいちょい名曲を残している。Jimmy Reedはストーンズも影響を受けたと公言するシンガー。1925年ミシシッピ州生まれ。若年時にEddie Taylorと出会い、1943年頃にはシカゴに行くもすぐに戦争へ。終戦後は精錬所で働きつつ、テキトーに暮らしていた…わけはなく、1953年にEddie Taylorと再会。VeeJayレーベルに多くのヒット曲を残した。

Junior Parkerはずいぶん若くて1932年生まれのハーモニカ奏者。彼のアイドルはハーモニカのSonny Boy Williamsonだったというのはなるほど納得。1950年頃には、すでにBobby 'Blue' BlandやB.B. Kingと共に、メンフィスの名門音楽集団「Beale Streeters」にいた。1952年にIke Turnerに見いだされてModern Recordsへ行き、それから1953年にはSam Phillipsに見いだされてSun Recordsに行く。Sam Phillipsは分かるが、Ike Turnerってもうこの頃からいたんだねえ〜。そんでSunでヒット曲を数枚。「Feelin' Good」はR&Bチャートで5位になる。1953年後半にはBobby BlandやJohnny Aceとツアーし、この後も60年代中頃までヒットし続ける。

James Brownについてはもう言うまでもない有名人。1933年生まれ。1953年から音楽キャリアを始めて、Ray CharlesやLittle Richardに強く影響を受けた。「Please, Please, Please」のヒットが1956年。「Try Me」が1958年にR&Bチャートのナンバーワンヒットとなる。そこから60年代中頃まで、つまりファンク以前の時代まで、R&Bシンガーとして売れ続ける。

Fats Dominoについて?Googleに聞いてくれ。1928年ニューオーリンズ生まれのピアニスト兼シンガー兼スーパースター。ただしやっぱり最も売れたのは50年代中期から60年代までらしい。

ここでは「黒人音楽が子供のころに大好きだったダグ・サーム」という文脈で出て来たアーティストだけしか挙げてないので、当然黒人ばかりになってる。北部や南部と異なり、テキサスでの聞こえ方っていうのは、この辺の黒人音楽が、(白人の)カントリーやスワンプ・ポップやザディコやケイジャン、あるいはメキシコ音楽まで、聞こうと思えば分け隔てなく聞くことができたのかもしれない。とはいえやっぱりそこは白人家庭で、ダグ・サームもドイツ家系のテキサス人一家なわけで、親は眉をひそめていたか、不思議な感じもしたんじゃなかろうか。しかし頻出ですな、Sam PhillipsとIke Turnerは。また書くことが増えましたなあはは。

ところでドリー・ファンク・ジュニアはダグ・サームと同じ1941年生まれということが分かった。ドリーは出身こそテキサスではないが、テキサスのWest Texas A&M大学のフットボールで活躍し、その後アマリロに同情を開いたプロレス界のレジェンド。ドリーは大学まで行ったが、ダグは高卒なんだよねえ。しかもドリーがプロデビューする頃、ダグはSDQでスターになってんだわなあ。面白いねえ。

ダグ・サームを追う#3 - 音楽・脳・アメリカに続く