Chris Strachwitz〜アーフーリー創始者#2

Chris Strachwitz〜アーフーリー創始者#1 - 音楽・脳・アメリカの続き。

クリスがヨーロッパに駐屯している時は、当地でディキシーランドジャズが流行し、兵舎からそう遠くない距離に行ってコンサートを見たりもした…なんて話が出て来るくらいだから、ホント兵役なんて関係ないのな多分。音楽漬けってことだったんだろう。1956年に除隊し、バークリーに入って1958年に学士、1960年に修士号を取った。1959年から3年間、カリフォルニア州サンノゼ南西のLos Gatosの高校で教鞭を取り、ここがアーフーリーの最初の住所となったそうな。その後も相変わらず、暇を見つけては地元のクラブやコンサートを巡って、まあまあ決して一般的な人気のあるわけではないアーティストを見ては「うっひょー」と聞いてたのでしょう。

すっかり貧乏教師になっていたクリスは、1959年の夏休みに、アルバカーキの妹だか姉だかに車を借りて、彼の英雄、ライトニン・ホプキンスを見にヒューストンまで行った。ホプキンスの単なる追っかけだったクリスは、ここでホプキンスのマネージャー、マック・マコーミックと出会う。テキサスで細々と唄っていたホプキンスを「発見した」民俗学者という感じで、まるでロマックスみたいに書かれているんだが、確実にロマックスよりは世俗にまみれた男で、劇作家でもあり歴史家でもあり、後にタクシーの運ちゃんでもあった。後になんとなくフィールドハラー、野唄を彷彿とさせるような響きを持っていた単語、Arhoolieの名前をクリスのレーベルに提案したのも彼である。ここからは妄想なんだが、ライトニン・ホプキンスという人はめっちゃくっちゃ多作で有名なブルースマンなんだが、それだけ節操なく録音させていたのは恐らくはマコーミックの手腕だろう。マコーミックは多分この貧乏教師になったブルースヲタクのクリスに「どうだい今だったら安く録音してやるぜー」みたいな話を持ちかけたに違いない。クリスはちょいちょいレコーディングを経験してはいたものの、なにしろ金がなかった。ただこれで気持ちに火が点いたのは確かで、いっちょ自分で録音しようと思い立ち、自身の持つお宝をイギリスの好事家にいくつかオークションで売って、手頃な値段の録音装置を入手した。

1960年ってのはそんなにもう昔ではないんだが、それでもまだ未知のブルースやフォークのシンガーは探せばいた。さてその待ちに待った二度目の夏休み。クリスはヒューストンに行って、さーホプキンス録るぞ録るぞ、と意気込んだものの、ちょうどその時はホプキンスはカリフォルニアに行ってたそうな。がっかりしたクリスにマックは「なんならトム・ムーアの牧場にでも行ってみたら?」と薦められた。ホプキンスの名曲に「トム・ムーアのブルース」ってのがあって、当時すでに公民権運動のアンセムともなっていた。ところがトム・ムーアの牧場ってのはどこにあるんだかよく分からない。この探偵みたいな旅行にクリスは心魅かれた。

かいつまんで言うと、トム・ムーアは実在した。マックとクリスは、そういう情報が集まる飼料倉庫を尋ね、ヒューストンの北西60マイルのワシントン郡ナヴァソタの、ムーアの仕事場を尋ね当てたのだ。伝説のトム・ムーアの農場に行けるとなったそんな時でも、二人は「どっかこの辺にいい感じのギター弾きはいませんかねえ?」とぶしつけながらも質問した。そこでムーアが紹介したのが、Mance Lipscombであったという話である。

「あのよー、二人の白人がいきなりやって来て、あんたのギターを録りたいっつってんだよ、マンス」。まあそりゃ、65際になるまで小作人で暮らしていたマンスにとってはなんだかよく分からん話であったに違いない。思うままに適当に弾いた。トム・ムーアのブルースも弾いた。ラグタイム、童謡、ミンストレル・ショーの端唄、霊歌、流行歌、なんでも弾いてみた。驚いたのは、いやここは妄想だが、マックとクリスはそりゃ驚いただろう。こうして録音されたマンスのブツが、Arhoolieの最初のカタログに入ったというわけだ。クリスにしてみたら、自分の生涯を賭けるような音楽は「これだよこれ、これっすよ!」と興奮したに違いない。

クリスは当時マンスに金銭的なサポートを十分にしてやることができなかったが、それでもマンスはクリスに感謝した。一見したところカネにこだわっているホプキンスのようなスターとは違って、マンス・リップスコムやミシシッピ・フレッド・マクダウエルといった野良でブルースやフォークを演奏していた人たちは、金銭に見合う演奏という考えを持っていなかったような感じを受ける。純粋に音楽を披露できることの喜び、といった感じだろうか。この感性が、この60年代という時代に独特なものだったように思う。例えば、ソウルミュージックは黒人を搾取しているシステムだと後にKRS-ONEが表明したりするんだが、これとて結果論なんだろうなあ。「ロマックス親子とレッドベリー」、「クリス・ストラックウィズとマンス・リップスコム」という関係って、「コロンブスとアメリカ大陸」というような関係として考えると薄ら寒いが、それでもコロンブスがいなかったら幸せだったかというとよく分からない。この時代以降、音楽は「すべて」「確実に」商品になっていくのだが、その狭間の「ちょっといい話」ぐらいの認識で止めておいたほうがいいのだろうか。