このブログ書いてみて思った事

ブログのひとつも長続きしたことはないのだが、今回もどうしてこんなことやってんだろうかと考えながら、あちこちいろんなサイトを見ながらちょこちょこ書いているうちに、なんとなく言いたいことというのが見えて来たので書いてみようと思う。

10代からもう黒人音楽が好きだったために、黒人特有のリズムやグルーヴがどうのこうのという話の組み立て方がなんとなくデフォルトになってて、その次の言葉は例えば「日本人にはできない〜」とか「被差別者としての哀しみが〜」とかが続く。自分自身はキング牧師マルコムXといった偉い人の言葉はよく知らないが、それに影響を受けた感のある批評家やライターの文章は読んで過ごして来た。80年代末かな、90年代初めかな、ちょっと曖昧だけど、KRS-ONEスパイク・リーが、ストリートを見ろ、現実を見ろと言い放ち、それに日本の一部のメディアも呼応する状況だったと思う。だから当時のライター、エガイツさんとかKCマツオさんとかホントお世話になったと思っている。思っているが、そのために、ある黒人音楽好きは「白人音楽なんてクソだ」「俺はアフリカンが起源のものしか聞かねえ」という言い方さえするようになってしまったんじゃないかな、と思うのである。

それ自体は何にもおかしくはない。音楽が一般的に録音されるようになったのはたかだか1950年代からであって、もうその当時は既にアメリカ音楽は人種的に分化していただけのことで、それ以前の未分化の時代の音楽を直接聞く術はない。ただ歴史をひもといてみると、白人が黒人の音楽を、黒人が白人の音楽を演奏し、あるいは東欧系の移民が何か別のエッセンスを持ち込んだり…つまり絶えず交換が繰り返されて音楽が再生産され、オリジナルの民族なり人種なりの固有のものなんて、もう影も形も残ってないんじゃないですか、と思った。1950年代からの録音物は、すべて「再生産」されたものと解釈できるし、ヒップホップで言うところのサンプリングとまったく同じ考え方で音楽が生産されてきている。

さらに売り物として音楽を考えたら、人種的なラベルを貼ることはごく当たり前のことであって、例えばそうだなあ、「ハンク・ウィリアムスが黒人音楽のR&Bをやろうとしてもできなかった」んじゃなくて、「(カントリーのアイコンとしての)ハンク・ウィリアムスが黒人音楽のR&Bをやろうとしても(制作段階でダメを出されてリリース)できなかった」という解釈の方がより分かりやすい。同じ事は、例えばサム・クックがカントリーやらなかった理由についても言えるだろうし。ということは、人種的な民族的なあるいは個人的なルーツをそこに感じてしまうのは、ある意味音楽産業の策略にハマっているだけなんじゃないか。

プレスリーが初めてラジオでオンエアされた時に、「高校はどこだい?」と聞かれてプレスリーが白人専門の高校の名前を言ったことでリスナーが驚いた、という有名な話があるけれども、本当は1950年代を待たずとも、もっと簡単にあの程度の衝撃を作ることができたはずなのだ、人種分離という政策がなければ。そのくらい人種間の音楽の交流というのは、少なくともミュージシャンレベルでは、ごくごく当たり前のことだったと思う。