Lawrence Welk

22 Great Country Music Hits

また凝りもせず。英語版Wikipediaより。

ローレンス・ウェルクは1903年3月11日生まれ、1992年5月7日没。1951年から1982年までテレビ番組『ザ・ローレンス・ウェルク・ショー』のホストを務めたアコーディオン奏者でバンドリーダー。彼のスタイルは「シャンパン・ミュージック」として知られた。ノースダコタ州ストラスバーグ生まれ。アルザス・ロレーヌ地方からウクライナを経由して来たカトリックでドイツ語を話す移民家族の、9人兄弟の一人として生まれた。通販で400ドルのアコーディオンを買ってもらった。21歳に家を出て、音楽の道を歩み、英語を学ぶ。1920年代にはもろもろのオーケストラで演奏し、その後自身のバンドもラジオ局WNAXの局付けバンドとなる。1927年にミネソタ州ミネアポリスにある音楽学校を卒業した。

なにしろアコーディオンである。多くのジャズミュージシャンがウェルクを冷笑していたが、1928年11月、インディアナを拠点にするGennett Recordsで「Spiked Beer」という曲を録音し、注目される。なんかこー、軽くてウキウキする泡みたいな音楽だよね、ということで「シャンパン・ミュージック」という名は1930年代から呼ばれるようになった。特にシカゴあたりで目一杯コンサートをして、1940年代後半にはニューヨークのホテルでも演奏するようになる。

1951年、ウェルクはロサンゼルスに移住し、KTLAで番組「ザ・ローレンス・ウェルク・ショー」を始める。これが地元で受けて、1955年の春には全国ネットABCに格上げとなる。「シャンパン・レディ」と呼ばれる歌も唄えるオネーチャン(Alice Lonなど)を配し、軽いポルカやワルツに合わせて一緒に踊り、スタジオにはシャボン玉が舞う…要するにこれ、日本の「シャボン玉ホリデー」の原型と思った方が分かりやすいかも。

ウェルクの番組の方針は、スタンダード、ポルカ、その他ノベルティソングやなじみのある曲「だけ」を演奏するというもので、家族向けのヒッジョーウに保守的であったという。ジャズ愛好家ではなくても「corny」つまりダセーな、と酷評されながらも、結果的に1982年(!)まで30年近くも番組がもったというのはすごい。ウェルクのバンドは常に一流のミュージシャンで構成され、アコーディオン奏者のMyron Floren、ギタリストのBuddy Merrill、クラリネット奏者のPete Fountain、サックス奏者のJohnny Hodges…、まあまあ、なんというかもう神と言えるほどに上手な人ばかり。こういう連中だから、1961年の全米ポップチャートで第1位になった"Calcutta"も、ワンテイクのみで録音されたという。1961年ですよ。もうロックンロールがあるっつーのにね。

思うにウェルクは、カウンターカルチャーが対抗しようとした側のひとつの象徴として存在していたように思う。こんなダサイ音楽はありえねえ、と否定のベクトルからロックやソウルその他にのめり込んで行く若者もいたに違いない。ただ断っておくが、今聞いてもウェルクの音楽は悪くない。それどころか相当いいんだなこれが。ある意味でサイケデリックな感じもするしね。