Ray Barretto

Acid

そんでレイ・バレット。サルサの創世記に携わった神話の中のような人である。1929年4月29日ニューヨーク生まれ、2006年2月17日没。King of the Hard Handsと呼ばれている。ビルボードチャートで始めてヒットしたヒスパニックでもある。両親は1920年代にNYに来たプエルトリカン。ガキの頃からデューク・エリントンカウント・ベイシーをよく聞いていた。

1946年だから、レイが17歳の時陸軍に入って1949年に除隊。チャーリー・パーカーのバンドにも誘われるなど、この頃からコンガ奏者として名を売り始めた。1959年にキューバ革命、1960年はチャランガが大流行しており、この時レイは一介のハウスミュージシャンであった、のだが、1961年、最初のヒット曲「El Watusi」が事もあろうにビルボードのチャートに入り全国的な知名度を得る。1967年にFaniaで金字塔的アルバム「Acid」を録音した。70年代、80年代は、どちらかと言うとサルサっつーよりはラテンジャズって呼ばれがちなアルバムを多く作り続けた。それから何度もグラミーを受賞してる。要するに間違いのないプレイヤー。だからこそ、さまざまなジャズのセッションにも呼ばれるし、ストーンズやらビージーズやらの録音にも呼ばれたってことだ。

しかし、よくよく考えてみたら、ラテン的なパーカッションをラテン以外の音楽に取り込もうという考えの元にあるのは、確実にレイやその他プレイヤーの演奏が影響を与えていただろう。すごい人なんだよなーやっぱりさー。