DJ Kool Herc#1

いわゆる「ヒップホップの父」、クール・ハークのことを考えると軽く夜も眠れなくなる、ってまあ最後には寝ちまうんだが。これこそ百聞は一見に如かずの典型例で、映像だったり音だったりでクール・ハークの活躍したそれこそまだブロックパーティだった頃を思わせる雰囲気を確認することはできるんだが、実際に現地に居合わせたわけではない。だから当時のブロンクスの、気温や天候や経済政治動向まで含めた空気感まで分からないとこりゃ永遠に分からないな、ということで悩んでしまうのである。アホですね。

しかもクール・ハークなんて超有名な偉人だから、他にもあるし、本ブログで取りあげてもどうなんだって気もしないでもない。大体この言葉を読めばそれで終わりじゃね? とも言えるし。

クール・ハーク、本名Clive Campbellは1955年ジャマイカはキングストン生まれ。13歳、だから1967年にブロンクスに渡った、とある。もうこの辺から慎重に考えないとならない。軽く年表風にまとめるとこうなる。

1932年 コクソン・ドッド生まれる
1938年 プリンス・バスター生まれる
1954年 コクソンが店の前でレコードをかけ始める
1955年 クール・ハーク生まれる
1958年 プリンス・バスターが歌い手としてデビュー
1961年 コクソンがスカタライツを結成
1962年 ジャマイカ独立
1965年 ヘプトーンズが初めて録音
1967年 クール・ハークがブロンクスへ移住
1968年 リン・テイトがカナダへ移住

これで何が言いたいかというと、クール・ハークがブロンクスへ渡る直前のジャマイカでは、既にサウンドシステム全盛だったし、U-RoyあたりのDJがブリブリにしゃべくり倒していたと思うし、ターンテーブル2台を使って「歌入り→ヴァージョン」という「つなぎ」は確実にしていたと思うんだが、後にクール・ハークの象徴となるスクラッチ自体を聞かせていたとはちょっと考えられない。一体どうしてそんな手法を思いつき、そして可能であったかというと、もしかしたら、スコスコとスクラッチすることに耐えられるターンテーブルがこの時代に出現したのかもしれない。キングストンブロンクスの機材の格差ってのは、まだ70年代には相当あったんじゃなかろうか。

なんてことを考えてまた眠れないと思っていたら、ターンテーブルの歴史を語っているこんなサイトを見つけたため、本日はこれまで。

…てなところまで書いてコンビニへ行きながら「あれ?」と思った。そもそもブロンクスキングストンの機材の格差なんてまったく関係がない。当時のどんな機材も、「スクラッチ」なんていう荒業を想定しては作られていないという重大なことに気がついた。誰も想像すらしなかった技を初めてやったからクール・ハークなのに…恥ずかしいですな。ぐっすり眠って出直します。