未だ旅の途中

こうして音楽を普通に聞いて暮らしているだけでも、いつまでたっても自分がモノを知らないことを知らされる。

およそ音楽マニアってのは、図書館学、書誌学のイメージで、レーベルの製造番号を001から順番に揃えるようなタイプから始まるのかもしれないが、それだけではなくて、民俗学も分化史も時には言語学認知科学まで包括するような具合になってしまうのは必然だろう。物事をどのように捉えるか、これは哲学の問題でもある。だけど、例えば飲み屋で友人に自分が聞いてよかったCDの話をするときを考えたら、そりゃもう理屈ではないのよって話になってくる。理屈じゃなくって心意気。自分がこうやって音楽についてなにかしら話すってのも、もう心意気の部分しかないんだけど、なんだかもう圧倒的にモノ知らないってのは確かなのです。

だからこそ、日々知らない音楽に、なるべくでかい音で触れて、ビリビリと痺れるしかないと思う。なんだかんだ言ってそれしか方法がない。エイベックスの社長のMAX松浦っていう商売人が、古い音楽を聞いてると頭が古くなるよなんてことをどこかで言ってたような気がするが、なにをバカなことを、と思う一方で、そりゃそうだとも思う。エイベックスの文脈に沿って言うなら、ディスコ好きがディスコの曲ばっかかけてるソウルバーに入り浸ってばかりいるっていう状況はおしまいだよって話、なんだろうかね。最新のダンスヒット曲のかかるクラブに行きなさいっつー話かね。今実際に書いてみたら、なんだか果てしなくどうでもいいような気がしてきた。勝手にしてくださいって感じ。だもんで俺も勝手にやるわいな。

というわけで、最近の音の旅路で立ち寄った、道の駅を3つほど。

Brad Paisley

カントリー部門総なめ男。何をいまさらと思われるかもしれないんだけど、いま37歳くらいでほぼ絶頂に近いわけで、あと4,5年くらいが楽しみで仕方がない。アイドル感が抜けてオッサン感とセレブ感が増して、かなりよいです。

この曲なんて、MJの専売特許(?)であった子どもと未来の地球について唄ってるわけです。ちょっと前にはAlison Kraussとのデュエットでアル中カップルの顛末を語った泣かせる演歌を歌ってたんですけど。これから彼がMJにどれだけ近づけるのかという点でも興味新々。途中で登場するのはなななんと、歌舞伎町とチャーリー永谷さん。かっこええけど、何してますのんw

Rocky Padilla

このたび、この人に出会えたというのは感に堪えません。ロッキー・パディーヤ。素晴らしいよお。ソウルミュージックに対する解釈が、世界中の音楽と演奏家、シンガーを発展させたわけですが、一見狭そうなコミュニティに思われるローライダーとかチカーノ、East LA界隈でもそれはまったく同じってことが分かる。ユルユルの曲をアマアマの声で、のアプローチはフィリーでもモータウンでもあった。しかしロッキー・パディーヤの場合、明らかに西海岸のチカーノっていう地域性を思い出さずにはいられない。

ただしこれは、どんだけ甘くするかっていう勝負ではない。Saborが不可欠な連中なのだってことに気がつけば、一聴して感じるスゥイートネスは、実はScrewedからスワンプポップまで一貫して流れている時間感覚の裏付けであることが分かる。向こうの連中ってのは、このテンポから始まるわけです。ここから生きると。で、このテンポでカネを稼いで女を口説いて家庭を持つ。テンポだからな、チンポじゃないからな。

Eydie Gormé

Eydie Gorméって人にもハマってる。イーディ・ゴーメ。トリオ・ロス・パンチョスでよく絡んでた女性ボーカル。戦中のビッグバンドから活躍した人でうんたらかんたら→ここが詳しい

Saborはもちろん、Sentimientoも大事ってことね。いわゆるLatin側のイーディしか聞いてないけど、どことなくElis Reginaの、あるいはルイ・パルマと組んでたKeely Smithを彷彿とさせる。