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…まったくどマイナーなテキストにぶち当たったもんだ。

ELTON ANDERSON

1932年9月9日ルイジアナ州Lake Charles生、1983年6月没。

主にブルースとスワンプポップのギタリスト/ヴォーカリスト。1956年から1957年の間、OpelousasのSouthern Clubで、Sid Lawrence Bandのメンバーとして活躍。そこでWayne Shuler(GoldbandのオーナーのEddie Shulerの息子)に見出され録音、Ace RecordsのJohnny Vincentによる当時新しい子会社のVin Recordsに売り込んだ。1958年、"Shed So Many Tears"/"Roll On Train" (Vin 1001) がVinの最初のリリースとなる。その後、Andersonは次の2枚のシングルを、のちにInstant/MinitのボスとなるJoe BanashakとWayne Shulerが当時共同で作ったTreyから出した。この合計4曲はLake CharlesのGoldband Studioで、Katie Websterのピアノと共に録音された。Treyでの2枚目のシングル"Secret Of Love"はめでたくMercuryから全国販売となり、1960年初めにポップチャートで88位、R&Bチャートで22位までになった。しかし、その後の2枚のシングルはよく扱われずに、契約が切られた。

1962年から63年、AndersonはLee LavergneのLanorレーベルで数枚のシングルを出す。Guitar GableとKing Karlの"Life Problem"のリメイクが最もヒットし、Capitolレーベルで全国的に扱われて地元でヒットした。このB面はChris Kennerの"Sick And Tired"をロック調にしたもので、New OrleansのCosimo's Studioで、恐らくピアノはJames Bookerなどの一流のセッションメンによって録音された。

次にAndersonは、自身の最初のレコード"Shed So Many Tears"を再び録音し、これもまたCapitolから発売された。しかしそのメジャーレーベルはすぐに彼に興味をなくし、数少ないAndersonの残りのリリースはまたLanorから出された。初めに"(Sorry) I'm Gonna Have To Pass"が出された。これは1958年のCoastersのリメイクであった。LanorでのアレンジのほとんどはWardell Quezergueで、プロデュースは(恐らく)Mac Rebennackであった。Lanorでの盤は非常に価値があるだろう。それらのいくつかはもともとMercury用に録音されたのだが、拒否された。それから、Lee Lavergneによれば、Andersonは「仕事がやりにくく」なり、彼はカリフォルニアへ流れた。彼はその後二度と録音することはなく、50歳で死去した。

これだから7インチ掘りは…いやホントはうらやましいんだけど。

ちなみにきっかけはこのCD。

Bayou Blues Masters

Bayou Blues Masters

(ため息)ちょっと勉強します。