逃亡奴隷と音楽

大西洋間の奴隷貿易によって、西アフリカの伝統的な音楽が新大陸に持ち込まれた、という記述の想像力のヌルさがもどかしい。仮に同じリズムでも、西アフリカにいた頃の世代のそれと新大陸で奴隷生活を強いられている世代とのそれは、あらゆる意味において異なるだろう。奴隷の音楽なんてのはなかった。なぜなら奴隷は音楽においても自由ではなかった。コンゴ・スクエアにしたって週一で許可されたものだし、他の地域ではどうだったかと考えると少なくともニューオーリンズよりはひどかったと言える。

しかし逃亡奴隷、マルーンの存在は、音楽そのものも解放した。山岳部に逃げ込んだ逃亡奴隷は、キューバで、ジャマイカで、その他の島々で、それぞれ集落を形成した。あるいはサウスカロライナで、あるいはフロリダで、大規模なアフリカ人集団がインディアンと共に生活していた集落にもブルースやジャズのルーツがもちろんかいま見られたのかもしれない。そもそもこのことを考えると、レゲエというのは逃亡した奴隷や、奴隷化からの逃亡そのものがルーツにあるわけだ。レゲエがさまざまな人に愛される理由というのは、きっとそんなところにあるのかもしれない。

奴隷化されることからいかに逃げるか。大企業、コマーシャル、マーケティングの奴隷になることを避けて生きてみたい。喉の奥から乾くようなそんな願望を、少しはキューバやジャマイカ産の音楽は疑似体験させてくれる…てなところだろうか。まあそんな単純なもんじゃないんだが。