模倣と革命

一般的にアメリカ合衆国で流通している音楽のルーツを考えると、すべて南部が起源になっていることが分かる、とまあ別にこのトピック、結論を慌てなくてもいいんだが、ひとつだけおまけに、ヒップホップはニューヨークが起源だね、という話も付いて来る。北か南かなんてのは恣意的なもんだし、さらに人種差別大国であったアメリカ合衆国においては北か南かというのは生か死かくらいの意味があっただろうし、それからこの事実だけを見て、緯度の低いほうが音楽が生まれやすいなんていう妄想話にはちょっと頭が反応しにくい。つまりそれだけ根拠が希薄なのだ。ミンストレルショーがまだ全盛だったシートミュージックの時代、どうも南部っぽい風情をたたえた曲や歌の方が受けるんだよね、という時代があったし、さらにその南部っぽさが、中西部っぽくなっても売れるんだよね、という時代もあっただろう。テキサスってワードも強いよねとか。こういうことを突き詰めて考えていくと、「音楽の起源」というのはマーケティングによって捏造されていると言えなくもない。

だからまずは音楽を、マーケティング前史から考えてみたくなるもんだけど、それはもう不可能だ。レコードや楽譜なんぞがなくたって、音楽ないし歌というのは流通するのを前提としているんだし、これはどこまでさかのぼっても同じ事。なにしろ太鼓で「会話」してたということは、記号を「流通」してたということ。純粋に「一個人から発せられる歌」というのはないっつーわけだ。創造した時点や場所というものが存在しない。ただ模倣の連続、模倣物の連続体、コピーの螺旋、なんだろいろいろ言いたくなるが、まあとにかく、だから音楽そのものには起源というものがないってことだよな。もちろん「ジャズ」や「カントリー」など、カギカッコつけると起源はひとまずは言うことができる。できるけど、どうもね…策略にわざとひっかかっているみたいで調子が悪い。

しかしですよ、音楽は確かに完全に音楽産業と表裏一体なんだけれども、例えばヒップホップについて考えてみましょう。楽器の演奏にターンテーブルを使う行為というイノベーションをどう説明するのか。これは、このこと自体は、音楽産業とまったく関係がないと思う。こういう革命が、まあターンテーブルなんてのは見た目にもインパクトあるけれども、例えばブルースで言うならボトルネック、12小節の形式そのもの、ジャズで言うならsus4やその他代替コードなど、数限りない革命が起こっていたんだろうことも容易に想像できる。その革命の現場に居合わせること自体がまた聴衆自身の革命でもある。引っ込み思案だった女の子が卒業式の日に思い切って告白したいんですが、とヤンキー先生に相談するレベルの小さなことでも革命と呼ぶのならば、音楽その他芸術という非生産的な行為というのは、革命の連鎖とも言える。って、おいおいちょっと話が大きすぎ。