Conjunto Bernal

Mi Humilde Corazon

Mi Humilde Corazon

考えてみたらアメリカっていう名前をブログに付けてるのに、テキサスのメキシカンの話をするってもう端っこのさらに断崖の話じゃん、と我ながら思う。ところがよくできたもんで、実はこのブログはアメリカ大陸の音楽の話をすることにしているのだわはは、と後付けすることもできる。どうでもいいんだけど。

さて、テキサスのメキシカンたちは実に多くの音楽を作り続けて来た。ヒモを解いちゃうともう終わらないのでヒモは最後まで解かない。実際には1930年代の初めに、二つの大きな特徴のあるスタイルが現れた。それがオルケスタとコンフントである。オルケスタってのはまんま英語で言えばオーケストラ、コンフントってのはそのまま英語で言えばバンドって意味である。編成には若干の違いはあるんだが、オルケスタ>コンフントって感じ。明確な人数の区切りはない。まあ英語のBandってのはせいぜい4〜5人なので、そんなもんだと思う。自信はない。

コンフントの中でも最高なのは間違いなくエル・コンフント・ベルナルだ。リーダーのパウリノ・ベルナルは1939年6月22日、テキサス南部Raymondville生まれ。テキサスのメキシカンのほとんどは当時ド貧乏で、パウリノも学校辞めて金を稼ぐために働いた。ある日母ちゃんが安物のギターを奮発して買ってくれたんだってねえ美談だねえ。で、そのうちアコーディオンを手にして、40年代終わりと50年代初めはラジオでがっつり聞いて練習した。当時のスターってのはナルシソ・マルティネス、バレリオ・ロンゴリア、そしてトニー・デ・ラ・ロサという、まあ並べてもほとんど日本では知られていないのでアレなんだが、「すごい人」にしといてください。ちなみに例のベサメムーチョでおなじみのロス・パンチョスは、1944年にニューヨークで結成されている。この話は「戦前から戦後にかけての合衆国のラテンアメリカ音楽の搾取」みたいなテーマで、ベラフォンテなんかと一緒に語れれば面白いんだがね、まあおいおいと。テキサスとメキシコ北部の音楽はノルテーニョとして分類されているんだが、伝統的で特徴のある音楽と言うよりは、親しみやすいポップスであったからコンフント・ベルナルはヒットしたんだろうなとか考えると、果たして彼らをノルテーニョといいものかどうか迷う。まあずーっと後の時代になって、きちんとノルテーニョをやる若い人たちが現れるんですがね。

さて、ベルナル。1952年にはロス・エルマニートス・ベルナルというバンドで兄弟で生計を立て始め、すぐに名が知れて地元のレコード会社と契約する。当初はまあ、いわゆるデュエットのバックバンドとして、1955年には78回転のレコードをいろいろリリースした。その後1960年まで、数々のヒット曲を生む。言うなれば、漫画BECKコユキがダイブリとか言うバンドをコピーしたのが始まりだったように、この手のアコーディオン奏者は「必ず」パウリノ・ベルナルの曲に接することになるっていうくらいのヒット曲だらけ、と言ったら分かりやすいか、いや分かりにくいか、分かりませんが。とにかくヒット曲でウッハウハとなった彼は60年代後半には自分のレーベルを作り、テレビ番組の司会をし、ガシガシとコンフント音楽をリリース。しかし、これメキシコ人によくありがちなんだが、酒と麻薬ですっからかんになってしまう。1972年には心機一転、すっぱりと酒と麻薬を辞めて立ち直る。で立ち直った後のバンドの演奏の動画が以下。

フレディ・フェンダーがカムバックしたのも70年代。この手の音楽が常にダグ・サームの隣りにあったことは覚えていてもいいと思う。