The Impressions
インプレッションズについていろいろ調べてみた。こういう風に自分で整理しないと分からなくなるので。
ジェリー時代
インプレッションズはもともと1958年に結成されたグループ。テネシー州チャッタヌーガ出身のサム・グッデン、リチャードとアーサーのブルックス兄弟が組んだThe Roostersが前身で、彼らがシカゴに移ってから、シカゴで同じ聖歌隊にいたジェリー・バトラーとカーティス・メイフィールドが、1957年に加入。5人組の「ジェリー・バトラー&ジ・インプレッションズ」として、Vee-Jayから1958年にリリース。最初のヒット曲は同年の「For Your Precious Love」で、その後「Come Back My Love」もヒット。
1961年頃にはジェリー・バトラーがソロ活動をはじめ、カーティスが作曲したりして関わる。インプレッションズはABC-パラマウントに移籍後、カーティスがリードシンガーとなり、ブルックス兄弟、サム・グッデン、それと新メンバーのフレッド・キャッシュで活動をはじめる。
カーティス時代
ABC-パラマウント時代は「Gypsy Woman」がヒット。このヒットの後の1962年、ブルックス兄弟が抜けてトリオになる。プロデューサーにJohnny Pateを迎え、「It's All Right」をヒットさせ、これら2曲の入った最初のアルバム「The Impressions」を1963年に出している。
1964年、「Keep on Pushing」がヒット。このリリースの数週間後に1964年公民権法が成立するっていう、まさにこの時代の政治に反応した曲ということで、ここからカーティス(とインプレッションズ)は政治的な、社会的な路線を貫き、数々のヒットを飛ばして1969年にはCurtomというレーベルを作り移籍した。
リロイ時代以降
カーティスがソロになったのは1970年。「Super Fly」のサウンドトラックを録る。音楽的な才能がほとばしっていたためにソロになって自由にやろうっていう気概が感じられる。Curtomのインプレッションズを完全に辞めたというわけではなく、作曲やらプロデュースを続けるべく、リロイ・ハトソンをリードシンガーに加えた。しかし、まあぼちぼちってな感じで、リロイ・ハトソンは1973年にインプレッションズを去った。時代の寵児であるカーティスの後釜に指名されたハトソンの気分ってのも、想像するとなかなか複雑だろう。その後のリロイ・ハトソンのソロ作品を知るとよけいにそんな思いが強まる。
んで、新たにハトソンの代わりにRalph JohnsonとReggie Torianを加える。もはやこのあたり、「つんく」感すら覚える。1974年から1975年にかけては、「Finally Got Myself Together (I'm a Changed Man)」などがヒットした時期である。1976年にインプレッションズはとうとうCurtomを離れ、最後のメジャーヒット「Loving Power」をリリース。同年Ralph Johnsonが脱退、Nate Evansに代わるも1979年まで。最後っ屁は1981年の「Fan the Flames」を出して、その後はRalph Johnsonが再加入したりして、現在までツアーでしのいでいる、というインプレッションズの一席でございました。
感想
カーティス・メイフィールドというシンガーがなぜに特別かというと、彼の歌ってのが当時の公民権運動を色濃く反映してたためでもある。ご存知People Get Readyはそのまんまボブ・マーリーのOne Loveに、Keep on PushingがKeep on Movingになってる。アフリカ系アメリカ人のアンセムとしては強烈なものだったに違いない。しかし「We're a Winner」がオバマ大統領選挙関連で使用されるような今の時代ではもはや漂白されてるような気さえする。考えてみたらすでにドレッドロックスもルーツロックレゲエもラスタカラーもなにもかも、第三世界を象徴するものですらなくなっている、という現実を踏まえた上で、なおかつR&Bチャートにヒット作を送り込もうとする現代のコンポーザーの方が俺は興味がある。カーティスだボブだって時代とは「つながっている」と表現する人もいるだろうが、「更新されている」といった方がいいなと思う。でまあ言いたかったことは、温故知新という言葉は、「知新」の方にアクセントがあるんだってことです。