奄美の職人技

奄美の島唄がすごいってのは、恐らく多くの音楽好きの方々が気づいていることだろう。特に長く続いた圧政から生まれた音楽であるという歴史は、アメリカ南部発祥のbluesと重ねて見る事もできる。比較的気楽なムードの漂う琉球島唄をカリブの島々に喩えるなら、そこからカルチャーが流入しているという点においても、アメリカ南部のアフリカ系アメリカ文化とも似ている。特に、交通が不便な辺境地という点で、ケイジャンのことを思わずにはいられない。

かつて、いわゆる「方言札」で方言を禁止する国語教育の時代が、奄美にもあった。これなんてルイジアナ州南部のケイジャンに対する英語教育とまるっきり一緒だ。現在ではかの地でケイジャン・フレンチを話せる人は古老と、数少ない若い世代となっている。ネイティブタンとして話していたのが古老の世代で、むしろ若い世代がその言葉を取り戻そうという機運で教育が行われている。だから今の30代とか40代とか50代の人らは、個人差はあるけれども共通語を教えられたので中途半端に方言知ってるという感じらしい。

これ世界各地で似たような状況なんだろうなと思う。ケイジャンアイヌ奄美大島も。ここで言葉って言ってるのは、もちろん音楽に置き換えて考えてもよい。


築地俊造っていう方は1934年生まれ。プロフィールによると30代で唄を始めたという。まあ本当に、世界レベルの人である。ザディコで言うならClifton Chenierの9歳下。宇検村の石原久子さんも1937年生まれ。ちなみにFela Kutiの4歳上。まずこの辺りの戦前生まれの世代が、研究者のように伝統を収拾し、拾い上げては壊しを繰り返し、録音や放送で奄美島唄の輪郭を創造していったのは間違いない。アメリカだったらリヴィングレジェンドとかホールオブフェイムとか言われるほどの方々である。

んでまあ、奄美にはなんかあると思った音楽関係者は多かったのだろう。元ちとせRIKKI、中孝介という人がメジャーシーンに出てくることで、まあさらに「奄美ってところはすごいかもしんない」ファンタジーが広がるわけだが、そういう中での奄美島唄界の期待のホープというのが前山真吾という人。その二人、築地俊造と前山真吾が、西和美さんのやってる店「かずみ」という、言うなればここは奄美の島唄ファンにとっては死ぬまでには一度行ってみたい聖地みたいな居酒屋でセッションするという動画なのである。この動画の貴重さに気付いていただきたいわけです。西和美さんももちろん一流。

この動画にしびれたポイント。まず、最初に割り箸を折って撥(バチ)にするところ(もしかしたらこれ普通の竹の撥かもしれない)。それから後ろを行き来する店員。演奏の途中であるにもかかわらず「これYouTubeに上げるから」という人。こういうカメラの絵ヅラが、すでに音楽以上のものを拾っている。素晴らしい。そんで唄が進むにつれ、西さんと築地さんの先輩諸氏の囃子が空気を唄に引き込んで行くんだが、最後にはやっぱり客の拍手や前山さんのしゃべりとかで、飲み屋の座興ですよっていうことを思い出させる。

そういうことを踏まえて以下の動画もどうぞ。

で、今さっき「飲み屋の座興」と書いたが、これが正式ではないとかいう意味ではない。音楽に正しい形があるとすればむしろこの動画のような状況であろう。飲み屋の座興にもならない音楽なんてひどいもんじゃないか。