Jerry Masucci

Faniaレーベルの創設者は二人いて、一人はジョニー・パチェーコ、そしてもう一人がジェリー・マスッチ。

マスッチ氏は1934年生まれ、1997年没。高校中退後、海軍に務めながら卒業資格を得て、その後NY市警に務めながら学校に通い、NYロースクールを卒業したっつー大した男だ。1960年に警察を辞め、キューバハバナで仕事をしていた頃に、ラテン音楽に興味を持ち始める。その後法律事務所を設立。1962年にドミニカ人フルート奏者のジョニー・パチェーコの離婚問題を扱って縁を持ち、64年に共同でファニアを創設。当時キューバとの国交の断たれたNYにおいて、NYはスパニッシュハーレムのプエルトリカンのミュージシャンらと共に、その後15年間でまったく新しい「Salsa」という音楽を定義することに相成る。Willie Colon、Hector Lavoe、Celia Cruz、Ray Barretto、Joe Bataan、Ismael Mirandaなどなど、のミュージシャンと共に、一連の盤を録り始めた。1965年にはラリー・ハーロウも制作陣に加わり、うんたらかんたらで、そのうちファニア・オールスターズはとてつもなく国際的なバンドとなるわけですね。

プロデューザー名義がジェリー・マスッチというのがFaniaの盤には結構あって、まあそりゃ共同創設者だからそうなんじゃねえのーと考えていたんだけど、決して音楽家ではない「ラテン音楽好きの法律家」が、一体どれだけ楽曲に食い込んでいたのか、というのは冷静に考えると不思議ではある。しかも彼はイタリア系アメリカ人。さらに言えば、ジョニー・パチェーコはドミニカ系だし、ラリー・ハーロウはユダヤ系白人。今さら人種や国籍がどうのこうのもないけれど、実際こういう真実にはいつも驚かされる。

マスッチ氏は気前もよくて、リハーサル中のミュージシャンに昼飯おごるとか細かいところで評判がよく、音楽的にも例えばパチェーコやハーロウがトラディショナルな方に持って行こうとするのを、革新的な方に持ってくセンスがあったらしい。

Live at Yankee Stadium 1

Live at Yankee Stadium 1

もちろんこのヤンキースタジアムライブもマスッチ仕切り。

Cheo Felicianoの書いた"El Ratón"という曲にサンタナフュージョンギターをぶち込んだのはマスッチの案らしい。

そう考えると、80年代にも続くFaniaおよび系列の無数のサブレーベルのおディスコ路線というのは、マスッチさんの手口だろうと思われる。

サルサブームが去ってからも、ビジネスマンとして成功したってところが、なんていうのか、「潮目を知っている」男って感じがして素敵です。ドン・キングと組んでモハメド・アリの興行をプエルトリコでやったつーんだからヤクザだよねえ。

そんなヤクザっぷりはともかく、マスッチの名前は映画"Our Latin Thing"のオープニングで僕の脳裏に強烈に印象づけられている。

このオープニングはカッコいい、というよりも、安カッコいい。他にも映画手がけたらしいんだが、"Salsa(1988年)"、"Vigilante"、"The Last Fight"など。Salsaは安い映画だけど、クラブ営業が終わったアフターアワーズに、バンドメンバーがセッションするデスカルガのシーンだけは覚えている。かっこよかったんだよねー。