麻の鬼と書いて魔

かつての日本では、大麻は有用な植物として使用されていた、という話はよく目にする。しかし吸引のための使用となるとどうなんだろう。神道などの宗教的な目的で…というのは理解できるが、感覚的なところでは、あまり都会的な行為、「粋」な感じではなかったんじゃなかろうか。大麻なんぞを吸ってる人は山の田舎の方の人、あるいはもっと山伏とかそういうおっかない人であったという印象で、なぜなら大麻ってのは魔界と接することができる草であるから、みたいな。もしかしたら魔と麻の音が似ているのは…なんて考えるが麻を「ま」と呼ぶのは中国の音だからなあ。しかしよく見りゃ魔の中に麻の字が入ってるね。麻の鬼と書いて魔ですか。恐ろしい。

でもいずれにしても、その外界と接するマージナルな人々の間でしか吸引されることはなかったのだろうなと想像できる。やっぱりブリブリで日常生活は難しいでしょ、という常識が働いていたに違いない。日本でも、もちろんアメリカ大陸でもそうだろう。合衆国南部のマージナルな人々、サウスカロライナのローカントリーやフロリダ州の逃亡奴隷がキリスト教的な支配から逃れるため、または対抗するための手段として、サンテリアヴードゥー的な西アフリカの原始宗教と大麻は必要だったに違いない。いろいろ想像で書いてしまうのはよくない。なにか調べられるほど詳しい文献があるのかちょっと分からないので書きっぱなしになってしまうが、アメリカ南部に大麻を持ち込んだのは、より詳細に言えば、ヴードゥーと共に持ち込まれたのであるから、必然的に西インド諸島からきた黒人奴隷のコミュニティということになるだろう。だからこの点はまず確認したいんだけど、アメリカ音楽の一つの要素は、西アフリカからやってきたんじゃなくって、カリブ海からやってきたんだってこと。人類の歴史の中で、ひとつの世代に記憶される現実はごくわずかではあるが、しかし西アフリカから大西洋を超えたアフリカ人は強烈な記憶であったはずだ。島にやってきたアフリカ人たちは、のらりくらりと十数世代かけて変化したのではなくて、そのひとつ下の世代、ふたつ下の世代が、音楽も宗教も完全に書き換えたのだと信じる。そしてそのリロードした文化を、今度は大陸に性急に持ち込んだ。というよりも、持ち込まざるを得なかった、というのが現実だったろう。

西アフリカから奴隷貿易で連れてこたれたアフリカ人の世代の下3世代。一体この時点での環境の、意識の、そして神の変化はいかほどだったろう。何をもって想像すればよいのだろう。サウダージなんて問題にならんほどのインパクトは、すぐに音楽の方向性を決定づけたのだと思う。