Clifford Antone〜『Antone's』経営者〜

クリフォード・アントンという男がいる。1949年10月27日テキサス州ポートアーサー生まれ。戦後生まれってことになる。

ちなみにポートアーサーはテキサス州の東の端っこで、ジャニス・ジョプリンもクリフォードと同じポートアーサー出身で1943年生まれだから戦中派ってことか。両者ともテキサス大学オースティン校出身だから先輩後輩になるんだねえ。しかもどっちもドロップアウトしてる。クリフォードの場合は1968年にオースティンの大学に行ったんだが大麻で捕まっちゃった。シカゴブルースの好きなヤツで、1975年7月15日、25歳でオースティンにブルースクラブを作った。これが『Antone's』という、後にオースティンでの超重要なハコになる。このこけら落としのライブがクリフトン・シェニエだったんだってよ。音楽都市としてのオースティンは別名「Live Music Capitol of the World」。まあ言ったもん勝ちだけどね。でもやはり1976年に始まったテレビ番組『Austin City Limits』で全国に名を轟かせた、んじゃないかな、いつものように妄想含みですいません。

さてこの『Antone's』はもはや老舗だが、ごっつい有名なブルースのミュージシャンが演奏している。挙げたらキリがないから挙げないけど、要するに呼び屋としてのクリフォードのここ(腕を叩く)が良かったということだろう。

そんでまあ、そういう仕事をしている中で、ジミー・ヴォーンという名の腕のいいギタリストがいたわけだ。ある日ジミーが弟のスティーヴィをクリフォードに紹介した。ちなみにジミー・ヴォーン。1951年3月20日ダラス生まれ。スティーヴィ・レイ・ヴォーン。1954年10月3日ダラス生まれ。日本の学年に置き換えたらクリフォード中3、ジミー中2(早生まれで)、スティーヴィ小4って感じ。

その時スティーヴィは「ジミーの弟」としてしか知られていなかった。スティーヴィはクリフォードに、アルバート・キングと共演したいんだよねー俺、と夢を語った。分かった、なんとかお願いしてみるよ、と請け合ったクリフォードは、「いやーキングさん、実は俺の知り合いの弟がキングさんのファンで、そいつがキングさんと共演したいなんて言ってるんすよ、なんとかお願いできないでしょうか?」と頼んだところOKの返事。そして『Antone's』でのライブで、スティーヴィはアルバート・キングと共演し、結果、キングは口あんぐりとなり、その後スティーヴィはメインストリームを突っ走っていきましたとさ…という話。80年代にはダグ・サームの世話もしてやったっつー話は前も書いた。2006年5月23日に死んだ時には、オースティン市長が直々に言及したそうだ。公式サイトの掲示板のメッセージを見ると悲しくなる。