伊藤咲子

その時代の音楽をなにがしかの形でとらえることができるのは、多分その時代の20年後にならないとできないんじゃないだろうか。例えば現在進行中のジャマイカ音楽、レゲエにしたって、せいぜい系統立てて語ることができるのはスレンテン誕生前夜あたりまで、というところだろう。その後のダンスホールの時代はまだなかなかスタティックなものとして見ることはできないってことだ。ポピュラー音楽は音楽産業と不可分の存在だし、同時代の音楽を語ることはどうしてもコマーシャルな活動と分けにくくなってくる。こういうことから個人的には音楽ライターなんて糞みたいな商売だと思うんだよ特にブログが一般的になって以降は。まあ糞みたいな商売で何が悪いかって、別に悪くはないんだけどな。いい感じでメイクマネーしちまおうぜってこと。

話がずれてしまったが、どうもやっと70年代の日本の歌謡曲、暗黒のアイドル時代にメスが入れられるようになってきた。顔さえよけりゃ、歌なんて別にうまくなくてもよい、という価値転倒が日本のメディアで起こった事実は、これまでその責任は誰にあるのかなんていうなすり合いの主張ばかりで、誰がうまくて誰が下手だった、なんて話にしても当人がまだ芸能活動を続けていたりするから日本人的にはあまりレビューできない。一方で自殺した岡田なんとかさんの話のように、純粋に歌の話ではなくて芸能界の闇とは…みたいなキナ臭いトピックばかりで、じゃあ音楽としての歌謡曲はどうだったんよ、という話についてはこれからというような気がする。例えば阿木燿子の歌詞、三木たかしの編曲、キダ・タローの作曲などなど、その社会と昭和の音楽史に影響を及ぼした行為という観点から語られていることに興味がある。

やはり今聞いて衝撃的なのは伊藤咲子である。暗黒の70年代アイドル歌謡曲時代(はまだよかったが。あえてこう呼ぶのは、やっぱりどう聞いてもヘタクソだらけだったような気がするから)でも、確実に日本の音楽業界がその良心をスキルのあるシンガーに投影させていたことは素晴らしいと思う。