Charley Pride

16 Biggest Hits
カウボーイ・トロイに覚える違和感を説明すると、恐らくこうだ。黒人がラップやってて当たり前じゃないか、ということ。前の日記ではジェロの海雪と比較してみたんだが、ジェロの方が堂々としているような気がする。今目の前のステージに黒人が立っているとしよう。彼はなにを演奏するのか。黒人だから演奏するのはヒップホップだろう、ジャズだろう、R&Bだろう…と思ったらジェロは演歌を歌い、そしてそれが上手であるとなれば、はっきり言ってエンターテイメントと呼べる(個人的に彼のあのファッションの演出にはまた別の点で意見があるんだけどそれは置いといて)。こういうエンターテイメントが成立しているってこと自体、人種差別国家・日本とも言えるんだが、現実を直視すればまあそんなもんだ。

そしてチャーリー・プライドであります。黒人でありながらカントリー界で大成功した歌手として知られる。ビルボードのカントリーチャートでは合計36曲のナンバーワンのヒットを出した。60年代から80年代中頃にかけて売れに売れた。売れた理由はなにかと言うと、曲がいいからであって、歌がいいからである。これは間違いない。Charley PrideをYouTubeで検索すると、カラオケで歌ってるシロウト動画が多いこと。それだけ愛されているという証明でもある。

しかしそのセールス的な成功とは裏腹に、彼が直面した白人からの人種差別、あるいは黒人からの誤解というのはどういった質のものだったのだろう。Music: That Ain't My Song on the Jukebox (Nashville Scene . 09-02-97)Twang Is Not a Color - Black Artists in Country Musicあたりを参考にしつつ、とりあえずは彼自身のバイオグラフィーをつらっと書いてみた。


チャーリー・プライドは1938年3月18日ミシシッピ州スレッジ生まれ。「ブルース発祥の地」とも言われている、真っ黒けな土地である。しかし、父親は貧しくて厳格なシェアクロッパーで、ブルース音楽の歌詞やカルチャーを毛嫌いして、代わりにグランド・オール・オプリの大ファンであったという。そのため、B. B. Kingが1946年にはメンフィスに登場してラジオで演奏していたのだが、そのブルースよりもErnest Tubb、Pee Wee King、Hank Williams、Roy Acuffといったカントリーのスターに影響を受けた。そういえば、教会に通う厳格な黒人がブルースを嫌う場面は、平本アキラの『俺と悪魔のブルーズ』でも出て来たな。ロバート・ジョンソンがクロスロードで魂を悪魔に売ったのが1920年代末で、1930年代にはレッドベリーがジョン・ロマックスに発見された頃だから、彼らの次の世代ってことになるのか。

16歳の時には、黒人リーグで野球選手となるために家を出る。1952年と1953年には投手として活躍。しかし腕を負傷したこともありうまくはいかなかった。1962年、チャーリーが24歳の時に、カントリー音楽のアーティストのRed SovineとRed Foleyが彼のシンガーとしての才能を見いだし、ナッシュヴィルに呼ぼうとした。プロデューサーのジャック・クレメントが1965年に録音したデモが、RCAレコーズの人気歌手でプロデューサーをしていたチェット・アトキンスの耳に留まり、肌の色を知る前にRCAレコーズに契約させた。1966年1月にチャーリーの最初のシングル「Snakes Crawl at Night」がリリースされ、カントリーのラジオ局でも人種を隠したままプレイされた。最初の彼のアルバム、『カントリー・チャーリー・プライド』で、聴衆は初めて彼が黒人であるということを知ったという。

よくチャーリー・プライドは「カントリー界のジャッキー・ロビンソン」と評されるんだが、本人としては「カントリー界の人種の障壁を壊すために」歌ってたつもりは毛頭なくて、ただ好きな歌いたい曲を歌ってただけ、てな風にインタビューに答えている。でも、ジャッキー・ロビンソンはその後黒人へのメジャーリーグへの門戸を押し開いたのに比べると、チャーリー・プライド以降、彼ほどの成功を収めた黒人のカントリー歌手はいないのもまた事実だ。

エンターテイナーとしての才能に加えて、チャーリーはずいぶんと実業家としても堅実に成功したようだ。テキサス州ダラスでは地元で不動産業と銀行業、ブッキングとマネージメントの会社を手がけている。

チャーリー・プライドの歌は、確かに聖歌に近い印象もある。カントリーとは言ってるが、彼の場合は良質なポップスってことなのだと思う。チャーリー・プライドは成功したが、人種を隠すという慎重なプロモーションがなかったらヒットしていたかどうかは分からない。大事なのは、結局彼が成功したのは「歌がうまかった」「曲がよかった」というすごく当たり前のことだったということだ。

ではチャーリー・プライド以外に黒人で大ヒットしたのがいないのはなぜか。歌が下手、曲がよくない、そういう要素はあったかもしれない。面白いことに、やっぱりここでも音楽ビジネス的なバイアスがかかっている。copy-cat mentalityと書かれているがこれは「パクリ主義」とでも言うのかな、ナッシュヴィルでもこのcopy-cat mentalityが横行している。あるスターが生まれると、そのパクリが次々と生まれるというヤツで、そんな中でカウボーイハットにピカピカのバックル、そして白人であるというスタイルが定着したというわけだ。

さらにはナッシュヴィルの無自覚で微妙な人種差別がある。まずはプロモーション。ある一人のアーティストに少なくない金額を投資するのだから、少ないリスクを取る。昔のラジオでは、ジム・リーヴスもビートルズフランク・シナトラも、同じ放送局で聞くことができた。今はジャンル別にセグメントされた結果、それが不可能だという。そのセグメントされる最初の項目が、性と人種であった。「カントリーと言えば白人で男性で…」となった日には、それに合わせるしかないではないか。ある意味で気の毒である。さらにマーケティング。アフリカ系アメリカ人は総人口の12~13%、カントリー音楽の愛好者に限れば、アフリカ系アメリカ人は2%に過ぎないんだとか。どう考えても「伝統的に」白人に向けたほうが売れるかもしれないね、という思惑があって当然かもしれない。

黒人、白人、アジア人、ヒスパニック、どの人種であるにせよ、売れるという一点で考えたら同じ程度に厳しいのが音楽ビジネス。じゃあ白人以外がカントリーで売れる可能性は残されているのか。本当にメガヒットとなったアーティスト、例えばガース・ブルックスディクシー・チックス、シャナイア・トウェインなどは、伝統的なカントリーという狭いジャンルから離陸して、ポップスとして聞かれるようになっている。チャーリー・プライドもきっとそうだった。まさにその点が、音楽っていいよねー、人種も国境も関係ないよねー、と言える点だと思う。