Jerry Wexler

ジェリー・ウェクスラーの経歴ってさほど面白いもんでもない。なんでかというと、この人はビルボード誌の編集者上がりであり、なんていうのかな、日本で例えたら電通とかavexとかのニオイがプンプンするような感じの音楽プロデューサーだからかな。まあ個人的な感想ですけど。なんかとことんカネのニオイしかしないんだよなあ。しかし結果的に彼なしには音楽産業は大きくなり得なかったかもしれない。

1917年1月10日、ニューヨーク市ブロンクス生まれ。ユダヤ系の家族に生まれて第二次大戦には海軍で参加。戦後にカンザス州立大学に入り、卒業後は出版業界に入る。ビルボード誌時代に、彼は「リズム&ブルース」という言葉を作った、と言われている。1953年にはアトランティックレコーズに関わり、レイ・チャールズドリフターズ、ルース・ブラウンなどを手がけ、アトランティックをでかくした。1960年代にはウィルソン・ピケットアレサ・フランクリンの一連の作品、ダスティ・スプリングフィールドの「Dusty in Memphis」。STAXレーベルとの関係を強めて、いわゆるマスルショールズの諸々(「マスルショールズ・サウンドスタジオ」と「マスルショールズ・リズムセクション」)を生み出す。この辺さらっと書いてますが、既に大物になっているというわけです。1975年にアトランティックを抜けてワーナーブロスレコーズに入る。1976年にマイク・フィニンガン、1979年にボブ・ディラン、んんんん、その他挙げたらキリがない。

結局マスルショールズに関しては、マスルショールズ・リズムセクションの音楽的な良心こそがすべてなんじゃなかろうか、とまあとりあえず今のところは決めつけておく。せいぜいウィキペディア英語版を眺めただけなので、他にも面白いウェクスラー話が転がっているかもしれないけど。それはおいおいと。

というわけでここここのサイトの方が読みがいがあります。