立川談志からデレク・トラックスまで

立川談志のことが好きか嫌いか聞かれたら、好きということにはなるのだが、ただし若い頃の談志はあまり好きじゃない。年代で言ったら70年代とかのあたり。天才とか名人とかいう名を欲しいままに、どうだ俺の落語ァおもしれえだろう、という尊大な態度(というかそれも計算済みなんだけど)で一席やられるのはちょっとたまらない。しかもさ、天才だったらそういう時期ってあるかと思うんだろうけど、とにかく回りというか取り巻きがはっきり言ってうざいんだよな。談志の場合は寄席に来ている客が、なんでもかんでも爆笑しようという意気込みで、俺ァ談志の落語で笑ってんだどうでェ、という感じばかりが目立ってしまって、なにこのクソじじい(談志)、そんでなにこのクソ連中(寄席の客)、という眼差しでずーっと見ていた。

どうにかこうにか聞く事ができるようになったのはやっぱり80年代後半に入ってから。年齢にしたら50も過ぎたあたりかな。いや本当に俺は落語知らないんだけれども、落語を知ろうとして談志を聞いたら本当に面白くて、もっと落語を知りたいと思ってしまう。ところが他の人の落語を聞いているとどうにも足りない。だからまた談志に戻ってしまう。そうそう、言い忘れたが正月にBSで談志の落語を見たもんだからこういうことを書いている。

んで、こういうことを思わせるような実力のある人なのに、なぜあの70年代の談志があんまり好きじゃないのか。これはつまり、好きじゃないというよりも「俺には分からない」っていうことなんだろうなあ。そういう意味において、実はジミヘンのことを一方で想像した。ジミ・ヘンドリックスは1970年にはもう死んじゃっているんだが、なんで彼が天才だって言われているのかが分からない。ドクター・ジョンの自伝でも「なんでヤツはあんなデカイ音を出してんだか」と当時思っていたとか書いてあるが、まったくその通りで、うるせえし、何弾いてっか分かんねえし、って感じだった。談志の例によれば、もしジミヘンが死なずに生きていたなら、やっと今頃になって「やっぱりジミヘン最高や〜」と思えたのかもしれない。そう思うと惜しいわけで。

洋の東西問わず、あの時代というのは既成概念をいかに壊すかというようなことに心血を注いでいたような気がする。そしてそれが「NOWい」っていう時代だったのだろう。考えてみたら今そういうの流行んないんだろうな。もうじき新しいアルバムの出るデレク・トラックスにしても、昨年のM-1で3位になったナイツにしても、「伝統芸というものにいかにして向き合うか」というその立ち位置も含めて評価されているようなフシがある。伝統の破壊というよりは再構築…いやいやもうこんな古い言葉じゃないな、なんつーんだろうか。

ただ、談志がなにか破壊したとして、そしてその次に再構築したとして、それが結果として落語の伝統という大きなものであるかもしれないけど、それよりも一回毎になんか自分のやってきたことと違うことせねばならんなという縛りでもって、自分自身を再構築する作業を、やっぱり談志はしたんじゃないだろうか。それが面白いってことになれば、なんで俺がデレク好きかっていうことも分かりやすい。つまり伝統を破壊するためには伝統を知らなければならないわけだ。そんでデレクは、オールマン兄弟に至る膨大な量のアメリカ音楽やその他の音楽を、すでに形として持っているわけだ。

ただデレクデレク言ってるけど、もしかしたらデレク自身まだ二つ目か真打ちなりたてっていう程度で思ってるかもしんないし、もしかしたら俺の嫌いな時期の談志みたいに鼻持ちならなくなってるかもしんないし…そういった意味でも次のアルバムは期待大なのだ。