第五章 魂の救済

ヒップホップ・ジェネレーション 「スタイル」で世界を変えた若者たちの物語について書いてます。

アフリカ・バンバータを中心に解説した章。

クール・ハークからバンバータへ。著者ジェフ・チェン氏によるものすごーく理に適った章の並べ方が素晴らしい。

ヒップホップがブロンクスで流行した数年間は、そのままどっかの博物館に入っちゃう可能性だってあったわけで。クール・ハークやグランドマスター・フラッシュがいかに天才だとしても、もしかしたら「ガキの遊び」の一言で片付けられていたかもしれない。ところがそうはならなかった。それはバンバータがいたから。ヒップホップという概念、思想、運動、フォーマット、全部バンバータが創造したものだよって話です。

ヒップホップ世代の原型の大半を形作っているのは、バンバータ・アシムの人生を象徴する一連の事実や伝説のようだーー彼は確かにゴッドファーザーであったが、オリジナル・ギャングスタでもあった。また彼は、公民権運動後のピースメイカー、黒人の発言を促す人物、プレイクビートの発掘学者、宇宙の神秘論主義者、謀略論者、アフリカ文化の未来を予見する人物、ヒップホップ活動家、二一世紀の語り部でもあったのだ。(本文より)

いろいろな通り名があるんだよね〜この手の人って。実際に会ってみたかったもんだよなあ若い頃にさー。

ブラックムスリムの家庭らしく、子供のころから政治的な議論もよくしてきた。汎アフリカ主義、アフリカ中心主義、黒人優越主義、バリエーションはいろいろあるけれども、急進的な思想になればなるほど、起源にはマーカス・ガーヴェイがいて、その枝葉を見たらラスタファリアニズムがあって…とまあ、壮大に繋がってる。

バンバータが少年時代に見た「ズールー戦争(1964年)」って映画に影響を受けてまず霊感を受けて、のちに作文コンテストで優勝してアフリカ旅行してきて、「ズールーネーション」って組織名に結びついたらしい。

そこからマルディグラのズールー・クルーのキングの意匠(のみならず衣装も)を採用したのは、ひとえにセンスだろうなと思う。

バンバータのことを思うと、マーカス・ガーヴェイもこんな感じの大物だったんだろうなって気になる。早々とギャングのトップになるような人だから、腕力はもちろん、ベシャリだって達者だし、頭の回転だって早くないといけない。それ以上に、なにか宗教的な、もっと言えば呪術的なセンスもたんまりあったんだろうなと。

んで次章へ。

第六章 フューリアス・スタイル