同意できるところとできないところがあった

http://anond.hatelabo.jp/20090308235742


ProToolsの弊害は、パフォーマーの芸を「芸」として見えにくくしているところがある。録音されたモノは限りなく編集することができるわけで、その録音物とライブを対比して、例えばN島M嘉の歌が実際上手かどうかを問題にすること、それ自体がつまらなくなっている。なぜならそれが「芸」に対しての批評にはなってないのだ。音楽誌がことごとく惨敗したのは、bounceがタダだから、タイアップでしか記事が成立しない、いろいろ理由はあるんだろうが、音楽自体への批評が成立しないってことが大きいんじゃないだろうか。Perfumeの録音物そのものというのは、「芸」を排除した形、「当の本人らの歌のスキルはあんまり関係ないんですよー」っていう体(てい=ギミック)であったから新鮮だったのだと思う。しかしながら、ボーカロイド自体にもう何も感じなくなる時代はすぐそこにあると思う。特に音楽に限定したら、もう秒進分歩のスピードで「どうでもいいもの」になっていってる。こういう動画を見てたら確かにそんな気になってくる。

制作にかける経費の多寡は問題ではない。こういう制作過程でもって出来た楽曲が(無料でも有料でも)いつでも一気に世界中に流通するわけだ。とは言っても、こういう制作過程をきちんと動画で見たら、やっぱりそれが「芸」だってことがよく分かる。(←これが同意できる部分)

ちょっと前の時代ならば、RZAやTimberlandがどうやって制作してるのか、どういう機材を使ってるかというのはシークレットであったんだが、Electribeのような廉価版のシーケンサーでここまでできるんだから、もう秘密にすることなんてない(かのように見える)。しかし秘密は、あるだろ普通。奥義というのはある。で、奥義というのはネット上に落ちているようなものではないって寸法で、志ん生や談志の落語をGoogleで動画検索したところで拾えるのはごくわずかだ。ネットにはなんでもあるわけではない。(←これが同意できない部分)

あと、文化を金出して買え買え言うのはamazonかなんかの回し者かって気がする。買いたい文化なら山ほどある。で、そもそも時代が下れば下るほど、価値のある文化ってのが増えていく、っていうわけではない。いつだって文化を増やしてるのは売ってる側だ。マンボやカリプソがアメリカで流行った過程までさかのぼらなくても、最近だったらユニコーンの再結成を考えればすぐに分かることじゃないのか。そういう売り手の戦略に「乗せられる」んじゃなくて、「乗ってあげる」ことが、文化に金出すってことだと感じる。なにも真贋を見極めるなんて大げさな話ではなくて、もっと金出す気分の問題なのだと思う。気持ちよく騙されるならそれでもいいが、●ールネクストドアだとさすがに無理があるわけで、そこいら辺のバランスが今は業界全体的に非常に悪いんじゃないだろうか。